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歴史
 

古代――アルケア帝国
 大昔のネスがどのような姿をしていたかは、不明の部分が多かった。
 他の地域には何らかの形で过去の记录が残っているものだが、ネスはそれが极端に少ない。そのため蛮族しか住まない辺境の森林地帯だったと考えられてきた。
 しかし口承で伝えられる昔话には、河岸に建つ黄金の宫殿や、不可思议な妖精郷の话がある。
 森の中や山地には打ち舍てられた遗迹が见られ、田园地帯には巨石の列や土塁迹が続いている。
 その正体が判明したのは、ごく近年にネス公国の南西部ホルム伯领で、古代アルケア帝国の遗迹が発见されてからである。年ごとの纳税记录など大量の行政文书が発掘され、ネスの地が古代文明の中心地だった可能性が出てきた。様々な伝承や遗迹は、アルケア帝国の痕迹だったと考えられる。
 ただしホルムはネス公国と西シーウァの国境地帯にあり、ネス公国のみをアルケア帝国の后継者と见なすことはできない。
 また、记录に残るアルケア帝国は乾燥した気候だったようだが、现在のネスや大河北岸は森林に覆われている。帝国中期から暗黒时代にかけて、大规模な気候の変化があったためのようだ。


历史




古代——阿尔凯亚帝国


远古时期的涅斯究竟是何种面貌,从今日看来不明之处尚多。
其他地域多有以各种形式存留下来的对过去状况的记录,但这类记录在涅斯地方却极为罕见。正因如此,多有人认为古代涅斯只不过是除蛮族外无人居住的森林地带而已。
但是口头相传的古代故事当中,却提及了建造于河岸的黄金宫殿,或是不可思议的妖精乡之类。
在森林中或是山地能见到被抛弃的遗迹,田园地带也有延伸排列的巨石阵列或土垒的痕迹。


最终使古代涅斯原型得以判明的,是近年来在涅斯公国西南部霍尔姆伯爵领地内发现了古阿尔凯亚帝国的遗迹一事。通过发掘出的年纳税记录等大量的行政文书,涅斯之地为古代文明的中心这一可能性也逐渐浮现。各种传说与遗迹,也都被认为是阿尔凯亚帝国留下的痕迹。
但霍尔姆位于涅斯公国与西席瓦尔的国境地带,因此阿尔凯亚帝国的继承者也未必能说只有涅斯公国一家。


此外,记录中的阿尔凯亚帝国气候干燥,但现在的涅斯和大河北岸却被森林所覆盖。这大抵是因为从帝国中期到暗黑时代间发生了大规模气候变化的缘故吧。

暗黒时代前期――蛮族の国々


 アルケア帝国も后期になると、周辺民族による侵入が缲り返されていた。南からはエラカと呼ばれる游牧民、北东からはラクセン人、东からはヴァラ人。帝国の灭亡后、それらの民族は大规模な移动をおこなって旧帝国领内に定住し、小国家をいくつも作った。
 ネスの大河河畔にはナーガ族と呼ばれる人々の国があったと言われ、彼らが名付けた地名が现在も各地に残っている。
 しかし彼らは记录をほとんど残さず、详细ははっきりしていない。


 また、キール山から来た魔术王が怪物を使って人々を支配したが、世界を灭ぼそうとして退治されたとの伝说も残っている。


暗黑时代前期——蛮族诸国


阿尔凯亚帝国后期,遭到周边民族反复入侵。被称为艾兰卡人的游牧民从南方入侵,东北方是拉克森人,东方则有巴兰人。帝国灭亡后,这些民族大规模移入帝国旧地内定居,建立了许多小国家。
涅斯地方的大河河畔据说是被称为娜迦族的人们的国土,现在各地还留有由他们命名的地名。
但是他们没有留下什么记录,其详情难以确知。


此外,还保存有自基鲁山而来的魔法王驱使怪物支配人民,打算毁灭世界但却被击败的传说。

暗黒时代后期――魔国领オロルダイ藩王国


 周辺民族の大规模な侵入は何度もあったが、その最后にして最大のものが、魔国マルディリアによる侵略だった。
 マルディリアの魔王は、人々を统治する意志を持たず、周期的に覚醒しては眷属を引き连れて破壊を缲り広げる存在だった。その行动は人间性に欠け、ミルドラ神が遣わした魔神だったとも言われる。
 しかしその眷属(狼魔と呼ばれる)たちは人间としての精神を持っていて、破壊のあとには各々の野心のために、あるいは自分の出身部族を栄えさせるために、国を作った。これは藩王国と呼ばれる。それぞれの藩王国は独立していて、平时は互いに覇権を争ったが、魔王が覚醒するとその権威に従った。魔国とは、これら藩王国による连合国家と言える。


 ネス南部からヴァラコール北部にかけての一帯はオロルダイ藩王国と呼ばれ、现在のナザリ付近にその首都が置かれた。藩王によって比较的穏健な统治が行われ、都市や部族ごとの自治や、信仰の自由も认められていた。魔国による支配は、税さえ徴収できれば他のことには干渉しないのが通例だった。しかし反抗に対する処罚は苛烈で虐杀をともなった。
 各地の太守や豪族、军司令官は封建领主としての性格を帯びるようになり、后のネス公国の体制にも受け継がれた。


 魔国末期。魔王が覚醒し、西への移动を开始すると、シーウァや西方诸国は同盟して対抗した。オロルダイ藩王国もこの戦争に参加したが、情势が复雑になってくるとネスの本拠地を守ることに専念した。
 魔国灭亡后もオロルダイ藩王国は存続したが、やがてシーウァからの远征军によって倒された。
 现在のネス公国は、この时から始まる。


暗黑时代后期——魔国领地·斡罗鲁台藩王国


在周边民族的多次大规模入侵中,最后也是最大的一次是魔国玛鲁迪利亚进行的侵略。
玛鲁迪利亚的魔王并无统治人民的意愿,只是周期性觉醒、率领眷属展开破坏的存在而已。其行动欠缺人性,也有一说认为魔王其实是密鲁多罗神派遣的魔神。
但魔王的眷属(被称为“狼魔”)们则具有人类的精神,在追随魔王进行破坏之后往往根据自己的野心、或是繁荣自己出身部落的愿望建立国家。这类国家就被称作藩王国。诸藩王国各自独立,平时互相争夺霸权,魔王觉醒后则臣服于其权威。所谓魔国,也可以说是由这些藩王国组成的联合国家。


从涅斯南部直到巴兰柯尔北部一带的藩王国名为斡罗鲁台藩王国,置其首都于现在的纳泽利附近。该国藩王实行比较稳健的统治,允许国内都市与部族的自治以及信仰自由等。这种做法也是按照魔国除征税外不干预他事的支配通例行事;但对于反抗者的处罚,则是苛烈的屠杀。
藩王国各地的城主或豪族、军事首脑带有封建领主的特质,这一点也为之后的涅斯公国体制所继承。

魔国末期,魔王觉醒并开始向西移动;席瓦尔与西方诸国则结成同盟对抗魔国的西进。斡罗鲁台藩王国也参加了战争,但由于情势复杂专注于守备根据地涅斯方面。
魔国灭亡后斡罗鲁台藩王国仍然存在,但不久后被席瓦尔派出的远征军灭亡。
现在所称的涅斯公国的历史,就从这时开始。


ネス公国建国――东方守护金狮子骑士団の伝说


 魔国の灭亡后も、东方には残党が存在していた。アレム王は、それを平定せよと第三王子のテオル(一世、狮子公)に命じる。
 王子は友人である骑士たちを集め、黄金狮子の旗印のもと戦うことを誓って骑士団を结成し、远征に赴いた。
 蛮族たちと戦っては下し、森の中で迷って白鹿に导かれ、やがて大河の中洲に建てられた魔の砦を攻略した。テオルは砦を砕いたあと、その近くのネスの地に城を建て、都にした。
 犠牲を出しつつも、すべての戦いに胜利した后に、それぞれの骑士たちは以下の地に封じられ、领主とされた。
 ボーア、イェゴード、ベルンの三侯爵。トゥルーラス、ラズラース、ベリューム、サーレム、ブラツルス、リルゼイの六伯爵、远征中に加わったグルーノ、ホルム、リグラッドの三伯爵。
 これら十二骑士にテオルを加えた十三名、东方守护金狮子骑士団の英雄たちによって、ネス公国は作られた。
 だがテオルは、魔国の宝を手に入れたために血族杀しの呪いを受けてしまう。呪いを解くため、大圣エルの导きを受けて旅立つ骑士たち。
 骑士たちは、悲剧を食い止めることができるのか。


 ……というのが、ネスの建国伝说である。
 テオルと仲间たちの活跃は多くの民间伝承を生み出し、文学の题材としても取り上げられた。优しく顽固なベルン侯や、勇敢でひょうきん者のグルーノ伯は子供に人気がある。
 しかし登场する地名や诸侯の名の中には、この时点では存在しなかったものも混じっていて、后世の创作も疑われる。
 本当はどんな活跃をしたか、そもそもそんな骑士団が実在したかはともかく、この伝承はネス公国が骑士と诸侯たちに支えられた国であることを物语っている。


 実际にネスが独立国としての道を歩むのは、父王の死后からである。
 王国歴48年。新王として即位した兄のヴァナリオンは、弟たちに臣下としての忠诚を求めたが、テオルはそれを拒否。
 近隣にいた国王派を倒し、ナザリの円卓会议に领域内の贵族·骑士たちを集め、君主と认めさせた。


涅斯公国建国——东方守护金狮子骑士团的传说


魔国灭亡后,其残部仍存于东方。阿雷姆王命其第三王子泰奥罗(一世,“狮子公爵”)前往平定之。
王子于是集结与他为友的骑士们,立下在黄金狮子的旗徽下并肩奋战的誓言,而后结成骑士团,奔赴远征。
王子和骑士们与众蛮族激战,在迷失于森林中时得到白鹿的引导,不久又攻陷了建立于大河中沙洲上的魔国堡垒。泰奥罗(一世)在粉碎堡垒之后,建城于附近的涅斯之地,以之为都。
经历众多牺牲,赢得了所有战斗的胜利之后,众骑士受封于以下之地,成为领主。
他们是被封于波安、叶高特、培伦的三侯爵,被封于杜卢拉斯、拉苏拉斯、佩留姆、萨雷姆、布拉茨鲁斯、里尔泽的六伯爵,以及远征中加入骑士团的格鲁诺、霍尔姆、里格莱特的三伯爵。
由以上十二骑士加上泰奥罗(一世),这东方守护金狮子骑士团的十三名英雄之手,涅斯公国得以建立。
但泰奥罗(一世)却由于获得了魔国之宝而受到了血亲相残的诅咒。为了解除诅咒,骑士们又在大圣人艾鲁的引导下踏上了旅程。
骑士们究竟能否阻止悲剧呢……


……以上的内容,就是涅斯的建国传说。
泰奥罗(一世)与其同伴们的活跃衍生出为数众多的民间传说,也被进一步作为文学的题材。温厚而顽固的培伦侯爵,以及勇敢的活宝格鲁诺伯爵在孩子们中间很有人气。
但在登场的地名和诸侯名当中,也混入了在当时并不存在者,因此也有怀疑此传说是后世创作的看法。
姑且不论传说中那样的骑士团是否存在,或是骑士团是否真如传说中那样活跃;这一传说如实的述说着涅斯公国是由骑士和诸侯们支撑的国家这一事实。


实际上涅斯走上独立国的道路,是在泰奥罗(一世)的父王死后的事情。
王国历48年。作为新王即位的泰奥罗(一世)之兄瓦纳里昂要求诸弟向他称臣效忠;泰奥罗(一世)对此加以拒绝。
他击败了近邻的国王派,在纳泽利的圆桌会议上召集领地内的贵族、骑士们,并在那里被拥戴为君主。


シーウァ継承戦争――三国鼎立の时代


 王国歴87年から起きた二度のシーウァ継承戦争で、ネス公国の领域がほぼ定まる。
 西シーウァ王が倒れ、まだ幼い新王ユーノース(ユノス一世、帰还王)が立つと、ネス大公カリュース(赤熊公)と、エルパディア大公ロラン二世は王位を要求して军を起こした。
 二公国は胜利し、ネス公国の领土はアルンウァラの平原地方にまで広がった。ユーノース王は北方のアイヴェ公爵领に逃亡して、わずかな军势だけが王都シーウァに残っていた。しかし王都入城を前にしたロイネの町での会议で、二公国の大公はシーウァの王位を谁が継ぐかで対立した。エルパディア大公は二人の王による両王制を主张したが、ネス大公は王家の谁かを傀儡として立てようとした。
 実のない议论や暗闘が続き、そのうちに半年が过ぎると、従军していた诸侯たちは本国に帰り始めた。王都攻略は不可能になり、やむを得ず停戦が行われた。


 王国歴102年、シーウァの王位をめぐって二度目の戦いが起きたが、この戦いでは初めから二公国同士の争いから始まった。西シーウァのユーノース王も、アイヴェ公爵を始めとした北方イベアの诸侯と、大河神殿の助力を得て逆袭に転じた。
 平原の戦いでネス公国は西シーウァに败れ、撤退のさなかで大公の嫡男ルラムド公子は敌に包囲され、ラルズーエの山道で戦死した。このとき彼が持っていた宝剣エウルスは折れ、二つの断片が部下の手で持ち帰られた。この宝剣はかつて建国王アレムが使用し、テオル一世の东方远征のさいに彼に与えられたものだと言われている。子と宝を一度に失い、カリュース大公は叹いて神々を呪った。
 のちには次男も失い、大公位は甥のラウルに移っている。


 王国歴114年。エルパディア大公の病死をきっかけにして讲和が成り、キール山地の东侧·荒野地方の北侧がネス公国の领域と定まった。
 この讲和では、次の条件が确认された。


·両公国は新王の即位を认め、以后は王位の継承に干渉しない。
·両公国の大公は国王と対等の王族である。
·三国家は各々が独立国であり、それと同时に大シーウァ王国の构成国でもある。

 二度目の戦争では多くの骑士や戦士たちが功绩を挙げたが、ネスの领土は缩小し、彼らに报偿として与えられる土地はなかった。また、领地を失った贵族たちの扱いを考える必要もあった。
 やむを得ずネス大公は、荒れ果てた北部平原地帯や、情势の复雑な东部国境、敌対的な异民族のいる大河南岸を彼らに与えた。
 北部では植民と土地の开垦が进んだが、他の地域では周辺诸国の抵抗が大きく、小规模な纷争が続いた。それぞれの地域で新兴贵族が大公の力を借りずに势力を拡大し、やがて公国内での発言力を増していった。


 平和な时代になると、商人たちも力を増した。
 大河沿いやラルズーエ地方、荒野地方の交易路沿いにある都市には常设市が作られ、商人たちが集まった。
 大商人たちは都市の参事会を主导し、やがては领主から権力の一部を买い取るようにもなった。


席瓦尔继承战争——三国鼎立时代


经由王国历87年(及以后)爆发的两场席瓦尔继承战争,涅斯公国的领域基本得到确定。
(当时)西席瓦尔国王驾崩,由年纪尚幼的新王尤诺斯(尤诺斯一世,“归还王”)继位;涅斯大公卡留士(“赤熊公爵”)与艾鲁帕迪亚大公罗兰二世(因此)起兵要求(继承)王位。
(初期)二公国获得胜利,涅斯公国的领土扩大到阿伦瓦拉平原地方。尤诺斯王逃亡到北方的艾维公爵领地内,王都席瓦尔只有为数不多的军队留守。但是,在攻入王都前在洛依尼镇举行的会议上,二公国的大公就由谁来继承席瓦尔王位(这一问题)发生对立。艾鲁帕迪亚大公主张并立两位国王的“两王制”,涅斯大公则主张立王家成员中的某人为傀儡。
毫无结果的议论和暗斗持续着,(会议开始)之后过去了半年,从军的诸侯们(各自)开始归还本国。攻陷王都(既然现在)已不可能,(二大公)无可奈何,只得停战。


王国历102年,围绕席瓦尔的王位又爆发了第二场战争。但是,此战最初却是由二公国的自相残杀开始的。西席瓦尔的尤诺斯王与以艾维公爵为先的北方伊贝亚诸侯,得到大河神殿之助转入反攻。
在平原之战中,涅斯公国被西席瓦尔击败;大公的嫡男乌朗多公子被敌军包围,战死于拉洛兹安的山道上。此时他所持的宝剑艾俄鲁斯折断,宝剑的两枚断片经其部下之手被带回。这柄宝剑传说当年曾被建国王阿雷姆使用,(后来又)在泰奥罗一世远征东方时赐予了他。在一战之中同时失去了爱子与重宝,卡留士大公(惟有)怨叹着诅咒众神。
之后(卡留士)又失去了次男,大公之位(后来)转移到外甥劳尔手中。


王国历114年。以艾鲁帕迪亚大公的病死为契机,和议告成;基鲁山地的东侧、荒野地方的北侧被定为涅斯公国的领土。


此次讲和确认了以下条款:
·两公国承认新王继位,以后不再干涉王位继承。
·两公国的大公是与国王对等的王族。
·三国各为独立国,同时又各为大席瓦尔王国的构成国。


在这两次战争中许多骑士和战士建立了功勋,但由于涅斯的领土缩小,没有可以给予他们作为报偿的土地;此外,对失去领地的贵族该当如何处置也必须加以考虑。
无可奈何的涅斯大公,将荒废的北部平原地带,或是情势复杂的东部国境、居住着异民族的大河南岸给予了他们。
(对)北部的殖民与土地开垦(顺利)推进,但其他地方周边诸国抵抗强烈,小规模纷争持续不断。(上述)这些地方的新兴贵族不借助大公之力而扩大势力,不久在公国内的发言力就得到了增长。


(进入)和平年代,商人们的力量也在增强。
(在)大河沿岸又或是拉洛兹安地方、荒野的贸易道路沿线的都市都建立了常设集市,商人们(在此)集中。
大商人们主导了都市的参事会,不久后还开始向领主买取部分权力。


神殿同盟とラルズーエ戦争――现代へ


 やがて南方のハス内海沿岸でメトセラ教国が作られ、怒涛の势いで大河流域に迫り、トライエのハァル大神殿が破壊されると、大シーウァの三国家と大河神殿は同盟して対抗した。
 王国歴209年に结成された神殿同盟にネス公国も参加し、军势を送った。しかし前线からの距离があるネス公国では、圣戦への意欲は薄かった。
 参戦した骑士たちの中には、绪戦の胜利で作られた神殿国家の王侯になった者もいたが、やがて败れた。


 王国歴267年。キール山地南东部ラルズーエ地方の帰属をめぐり、西シーウァとの间でラルズーエ戦争が起きた。
 この地域は西シーウァが领有を主张していた一方、半独立の都市や豪族の支配地が点在していて、両国の间でふらふらと立场を変えていた。
 その一つ、ラルム市の参事会が西シーウァ商人の免税特権を廃止しようとしたために西シーウァの攻撃を受け、ネス公国に救援を求めた。
 当初はラルズーエの山地での小戦闘に过ぎなかったが、胜利した西シーウァはこれを机に国境を东侧に広げようとして、ネス南西部のホルムとブラツルスに攻め込んだ。
 しかしネス公国はブラツルスで持ちこたえ、南侧のホルムからラルズーエに侵入して北上、西シーウァの远征军を包囲し、败北させた。
 この戦いでラルズーエ地方の多くがネス公国のものになった。また所属の暧昧だった都市や豪族も、両国家のいずれかの下に収められた。
 败れた西シーウァ王国ではヴァナドール王(白衣王)が退位し、神官になった。和平派贵族たちは、王家の血を引くボロティア侯爵(ユノス五世)を王女と结婚させ、新国王として即位させた。
 胜利したネス公国の侧でも、获得したラルズーエの主要な部分を大公直辖领としたため、「戦ったのは我々なのに、后から来た大公に胜利を盗まれた」と反発が起きた。


 王国歴298年になると、再びネス南西部で事件が起きた。
 ホルム伯领でアルケア帝国时代の遗迹が発见され、それと同时に夜种の出现や奇病の流行、饥馑など、さまざまな灾厄が公国を袭った。
 それらの异変の原因は遗迹の内部にあると考えられ、兵士たちや有志の探索者たちが遗迹内に送り込まれたが、いまだ解决していない。
 生きて帰还した者たちの报告によれば、内部には洞窟や巨大空洞、地下宫殿などがあり、怪物たちがはびこっているという。
 大公ラウル三世の后継者、テオル(五世)が配下の骑士たちとともにホルムに赴き、事态の解决を図っている。


神殿同盟与拉洛兹安战争——直至现代


不久后南方的哈索内海沿岸建立了玛土撒拉教国,以怒涛之势迫近大河流域,破坏了托莱耶的哈鲁大神殿;大席瓦尔三国与大河神殿结成同盟,共同对抗(教国)。
涅斯公国也参加了王国历209年结成的神殿同盟,并派兵出战;但离前线有(相当)距离的涅斯公国参与圣战的意愿薄弱。
参战的骑士中,也有成为初期胜利后建立的神殿国家的王侯者;但(他们)不久都归于失败。



王国历267年。围绕基鲁山地东南部拉洛兹安地方的归属问题,(涅斯)与西席瓦尔之间爆发了拉洛兹安战争。
虽然西席瓦尔主张领有此地,但另一方面(此地)散布着半独立的都市或是豪族的支配地,(这些地区)立场在两国间屡屡变换,摇摆不定。
(这些地区)其中之一,拉尔姆市由于其参事会废止了西席瓦尔商人的免税特权而遭到西席瓦尔的攻击,向涅斯公国乞求救援。
(战争)最初不过是拉洛兹安山地间的小战斗,但获胜的西席瓦尔打算乘此机会将国境向东扩张,(于是)攻入了涅斯西南部的霍尔姆与布拉茨鲁斯。
但涅斯公国(一方面)死守布拉茨鲁斯,一方面经由南侧的霍尔姆攻入拉洛兹安并北上,包围并击败了西席瓦尔的远征军。
此战令拉洛兹安地方多归涅斯公国所有。此外,(之前)所属暧昧的都市与豪族,也分别归于两国旗下。
战败的西席瓦尔王国国王巴纳托尔王(“白衣王”)退位为神官。和平派贵族们使有王家血统的波罗迪亚侯爵(尤诺斯五世)与公主结婚,即位成为新王。
获胜的涅斯公国一方由于将获得的拉洛兹安地方主要部分作为大公直辖领地,也引发了“我等(在前)作战,后来的大公(却)窃取胜利(果实)”的不满与反对。



王国历298年,涅斯西南部再度发生事件。
霍尔姆伯爵领地内发现了阿尔凯亚帝国时代的遗迹,与此同时夜种的出现与怪病流行、饥馑等各种各样的灾厄侵袭公国。
考虑到这些异变的原因存在于遗迹内部,(公国)向遗迹内派入士兵和有志探索者,(但)至今未能解决(问题)。
根据生还者的报告,(遗迹)内部存在洞窟或是巨大空洞,地下宫殿等等,据说还蔓延着怪物们。
大公劳尔三世的后继者泰奥罗(五世)与属下的骑士们一道奔赴霍尔姆,以图解决事态。



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